日本スラヴ学研究会奨励賞


日本スラヴ学研究会では、若手・中堅の会員による研究を奨励するために、学術書の刊行を対象に日本スラヴ学研究会奨励賞を設けることを2014年6月の 総会で決めました。毎年12月末日を基準日とし、過去2年間に会員によって刊行された研究書を対象とするものです。


 

2018/2019年度日本スラヴ学研究会奨励賞

 

[選考過程]
 選考に先立ち、選考委員会が結成された。内規第5条に基づき、会長(長與進)、企画編集委員長(三谷惠子)、編集委員長(ヨフコバ四位エレオノラ)、および企画編集委員会によって指名されたもの(阿部賢一)によって構成され、指名により、阿部賢一が選考委員長を務めることになった。

 選考にあたっては、今回の奨励賞の対象は、「2018年、2019年に刊行された単著の研究書」であることを確認した上で、2020年3月7日を期限として、会員による自薦、他薦をメールおよびHP上で呼びかけを行った。その結果、会員からの推薦があったものに加えて、選考委員会からの推薦を加え、候補作は以下の四点(著者名順)であることを確認した。

1.岡本佳子『神秘劇をオペラ座へ バルトークとバラージュの共同作品としての《青ひげ公の城》』松籟社、2019年。
2.菅原祥『ユートピアの記憶と今:映画・都市・ポスト社会主義』京都大学学術出版会、2018年。
3.松尾梨沙『ショパンの詩学 ピアノ曲《バラード》という詩の誕生』みすず書房、2019年。
4.ローベル柊子『ミラン・クンデラにおけるナルシスの悲喜劇』成文社、2018年。


 その後、4名の選考委員が、上記4点の候補作すべてを読み、奨励賞としてふさわしい作品について、メールで審議を行った。
 複数回にわたるメールでの意見交換の結果、本年度の奨励賞は、下記の著作とすることで選考委員会は一致したことを報告する。

 2020年度日本スラヴ学研究会奨励賞:
 松尾梨沙『ショパンの詩学 ピアノ曲《バラード》という詩の誕生』みすず書房、2019年。

 

[所見]

 松尾梨沙箸『ショパンの詩学 ピアノ曲《バラード》という詩の誕生』(みすず書房、2019年)は、同氏の博士論文「ショパンの詩学 楽曲構造とポーランド文学構造の比較分析」(東京大学総合文化研究科、2018年3月、学位授与)を改訂したものである。
 全13章からなる同書は、「第1部 6人の詩人から読み解くショパンの歌曲 その詩の構造と作曲技法との関わり」、「第2部 《バラード》の条件 ショパンが生んだ新ジャンルをめぐって」の二部構成となっている。第1部では、ショパン自身のポーランド語文体を参照しながら、ポーランド詩人たちの詩に付曲した歌曲を、詩と音楽の両面から分析がなされる。第2部では、文学ジャンル名にも共通する《バラード》というピアノ独奏曲について、ポーランド文学の「バラード」との比較分析が行なわれている。
 本書が選考委員会によって高く評価された第一点は、19世紀ポーランドの文学研究と音楽学の成果が結実した学際的な論考となっている点である。本来は詩のジャンルであった「バラード」が、ピアノ独奏曲の名称へと変容していく様相が、オシンスキ、ミツキェヴィチ、ヴィトフツキら数多くの文学者、音楽者の作品を下敷きにして、明かされていくプロセスは、知的な興奮をもたらすものであり、委員全員から高く評価された。「バラード」というジャンルに着目することで、隣接する学問分野でありながら十分に検討されてこなかった、文学研究と音楽学の共同研究の可能性を示したものと言えるだろう。
 次いで評価されたのは、研究手法である。ポーランド語のみならず、リトアニア語やウクライナ語などの民謡も射程に入れ、ポーランド語の詩および歌の重層的な広がりを提示することに成功している。また実証的で緻密な文体・楽曲分析を行いながら、議論を重ねていく手法は、堅実でありながらも、学術的な野心に満ちたものであり、選考委員会からも高く評された。
 以上の二点において、他の候補作よりも若干抜きん出ていたという判断に至り、松尾氏の著作を奨励賞として推薦することにした。
 なお、他の候補作もいずれも博士論文を下敷きにした論考であり、様々な刺激をもたらす、学術的にもレベルの高い著作であり、選考は極めて難航した。ディシプリンやアプローチがそれぞれ異なるため、候補作四点すべてを奨励賞としてもよいのではないかという意見もあったが、最終的には、松尾氏の論考が上記の点において傑出しているという点で一致を見た。全体として、本会の研究レベルの向上が窺える選考であったことを言添えておく。


以上

選考委員長
阿部賢一

 


2016年度日本スラヴ学研究会奨励賞

 

2016年度の日本スラヴ学研究会奨励賞は、自薦・他薦を含めて推薦作がなかったほか、委員が独自に調査した範囲において条件に合致する単著がなかったため、本年度は該当作なしとなった。

 

日本スラヴ学研究会奨励賞選考委員会

 



2015年度日本スラヴ学研究会奨励賞

 

亀田真澄 氏の『国家建設のイコノグラフィー―ソ連とユーゴの五カ年計画プロパガンダ―』成文社、2014年

以下、「選考報告」を続ける。

 

【選考過程】

2014年6月の総会において設置が決定された日本スラヴ学研究会奨励賞(以下、奨励賞)について、「内規」に基づいて推薦が募られ、2015年1月末日の締切までに一件の推薦があった。この著書について、奨励賞授賞にふさわしいかどうかを選考することになった。

 

選考には、「内規」に規定されたように日本スラヴ学研究会会長、企画編集委員長、論集編集委員長、および企画編集委員会で指名された長與の4名があたった。委員長は長與が務めた。2015年3月20日に第一回選考委員会を開き、各委員が当該の著書についての所見を提出すること、以後の選考作業はメールによって行うことを申し合わせた。

 

【選考結果】

選考委員全員は、推薦された亀田真澄氏の著書『国家建設のイコノグラフィー―ソ連とユーゴの五カ年計画プロパガンダ―』(成文社、2014年3月28日刊行)について、同書が奨励賞にふさわしい業績であることを一致して確認した。以下は選考委員会としての所見である。

 

【所見】

亀田真澄氏の著書『国家建設のイコノグラフィー―ソ連とユーゴの五カ年計画プロパガンダ―』は、1920―30年代のソ連と、1940―50年代のユーゴスラヴィアの「共産主義的」公式文化を、同時代のヨーロッパのモダニズム芸術運動などとの関係も視野に入れながら比較し、前者の特徴を「いま・ここ」を重視する「ライブ性」、後者のそれを、出来事とこれを見る人々の間に立つ媒介物が重要な役割を果たす「媒介性」と規定して、その対照的性格を明らかにしたものである。

スラヴ言語学以外のスラヴ文化研究においては、語学的な制約もあって、なかなか一国文化研究の枠を越えることは難しいが、亀田氏は複数のスラヴ諸語の能力を駆使して、ソ連とユーゴスラヴィア両国にまたがる文化研究を一書にまとめ、スラヴ比較文化研究の一つの可能性を示したという点で高く評価される。

 具体的には、両国の公式文化に共通する鉄道建設についてのドキュメンタリー映画、グラフ雑誌、社会主義建設のための「新しい人間像」の提示という3つの例を取り上げて、それぞれで取られた方法の特徴を詳細に分析している。

映画に関する第3章での議論を例にとれば、ユーゴスラヴィアの作品『青年鉄道シャマツ=サラエヴォ』は、テーマやモチーフは先行するソ連映画『トゥルクシブ』と同じものを取り上げる一方、ソ連作品が「視点の内部化」という手法を取ることによって鑑賞者を出来事の内部に導く「ライブ性」を重視した表現となるのに対し、ユーゴ作品は「視点の外部化」という方法により、出来事の「いま・ここ」が次第に外部に広がって、ついには鑑賞者の「いま・ここ」につながる、という鋭い指摘を行っている。

3つのテーマを適切に選び出し、それぞれについて多くの読者にとって未知の事実を提示したうえで、細部をゆるがせにしない綿密な考証を行い、ソ連とユーゴスラヴィアの政治的プロパガンダの違いを、共通の原理で説明できるとした着眼点は斬新である。ソ連の「共産主義的」公式文化の研究は日本でも既にかなり進んでいるが、ユーゴスラヴィアのそれの本格的研究は本書が恐らく初めてであり、その点でも先駆的な研究として高く評価することができる。

 

 一方で、本書の本文154ページという分量を考えたとき、スペース的にはなお十分な余裕があり、様々な観点からさらに議論を展開することができたのではないかと感じさせられる点もあった。たとえば次のような点である。

1)ユーゴスラヴィアの第1次五カ年計画が遂行されたのは、同国が1948年6月にコミンフォルムから追放された時期に重なる。その事実は、ここで扱われた3つの事柄に具体的にどのように関わっているのだろうか。第2章でコミンフォルムからの追放と経済体制の変化について、そして新しいユーゴスラヴィアにふさわしい文化政策が文化人たちによって模索されたことが概観されている。しかしそのような新しい文化政策、ユーゴスラヴィア社会における政治的・社会的な変化と、取り上げられた3つの事柄との関係は、かならずしも十分には議論されていないように見える。

2)多民族的連邦国家ユーゴスラヴィアの国民的アイデンティティーの創出のために公式文化が利用され、そのために「元型」的な古い文化類型が援用され、それと類縁的なものが創り出されたという場合に、「想像の共同体」を創り出して「○○民族は永遠である」というイメージを国民の心の中に植え付けようとするナショナリズムとの関係も気になるところである。本書ではナショナリズム論はほとんど展開されていないが、「共産主義的」公式文化がナショナリズム的要素をどのように利用したのかという点も、今後の研究によって明らかにして欲しい。

3)本書が扱っているのはソ連とユーゴスラヴィアの例の比較であるが、当然のことながら、なぜソ連とユーゴスラヴィア(だけ)なのか、チェコスロヴァキアやポーランドなど、他の旧社会主義諸国の場合はどうだったのか、という疑問が浮かぶ。本書の著者が率先して内外の研究者を糾合して、このテーマでの国際的な比較研究プロジェクトを展開して欲しい。著者にはじゅうぶんにその実力があり、またこのテーマをめぐる内外の研究環境も「機が熟している」と言えるのではないか。

 

以上、あえて何点かの「問題点」を指摘した。しかしこれらはすべて「書かれていないこと」についての「無いものねだり」であり、本書の学術的意義をいささかも損なうものではない。今後著者が、この分野での研究をさらに広げ深めていかれるように、切に祈念する。

 

日本スラヴ学研究会奨励賞考委員会を代表して 長與進