2020-21 年度受賞作・選評

【受賞作】

貞包和寛『言語を仕分けるのは誰か――ポーランドの言語政策とマイノリティ』(明石書店、2020年)

 

【選考過程】

 選考に先立ち、選考委員会が結成された。内規第5条に基づき、会長・企画編集委員長代行(長與進)、編集委員長(ヨフコバ四位エレオノラ)、および企画編集委員会によって指名された者(服部文昭・菅原祥・石川達夫)によって構成され、指名により石川達夫が選考委員長を務めることになった。

 選考にあたっては、今回の奨励賞の対象が「2020-21年に刊行された単著の研究書」であることを確認した上で、2022年3月7日を期限として、会員による自薦・他薦についてメールおよびHP上で呼びかけを行った。その結果、一件の推薦があり、それについて選考することになった。

 その後、5名の選考委員がオンラインで初回の会議を開いて段取りなどを決めてから、上記の研究書が奨励賞にふさわしいかどうか、メールで審議を行った。

 

【選考結果】

 審議の結果、選考委員会は、上記の研究書が奨励賞にふさわしいものと認めた。以下は、選考委員会としての所見である。

 

【所見】

 東京外国語大学に提出された博士論文を元にした本書は、言語は数えられないという言語の「不可算性」と、それと表裏一体をなす言語分類の問題を、ポーランドのいわゆるマイノリティの言語であるカシューブ語、シロンスク語、レムコ語の事例に基づいて分析し検証しようとした研究である。その際、これらマイノリティの言語そのものを――いわば内部から言語学的に――分析するのではなく、それらに――隣接するマジョリティの言語との関係性によって――どのようなステータス(言語、方言、エトノレクト、地域言語など)が与えられているか、またそのステータスが歴史的にどのように変遷してきたかを――いわば外部から社会言語学的に――分析し、様々な問題を明らかにしている。

 導入部において、言語分類は単にその言語の内的記述から帰納的に得られるものではないこと、それにもかかわらずそうした分類がある種の「客観性」と外部拘束性を伴って言語学における研究や国家政策に影響を与えていることが、興味深く述べられている。言語の分類は言語学の観点から行われるのが一般的であるが、本書は分類の基準として言語政策の観点を取り入れて言語学的分類と政策的分類の関連性を探っており、このような着眼点とアプローチにオリジナリティがあると言えよう。

 そして本書は、ポーランドにおける言語学の研究史、ポーランドやEUの法令、ポーランド社会における様々な議論などを踏まえながら、各マイノリティの言語のポーランド社会での位置づけや政策側の意図などに関して、おおむね説得的な考察を展開している。

 多くの論文と資料に当たってそれらを批判的に検討し、言語関係の法令の(隠れた)意図を剔抉しようとする著者の論調は鋭く、本書は全体的にきびきびした文体で書かれたオリジナリティに富んだ研究となっており、問題点や疑念を抱かせる点はあるものの、奨励賞に値する研究書だと判断される。

 以下、選考委員会において出された問題点の指摘や疑念を、何点か挙げておく。

 

1.本書で扱っているマイノリティや彼らの言語の具体的な姿がよく見えない

 本書では、もっぱらポーランドのマイノリティの言語の分類・位置づけ・立ち位置の問題が論じられているが、それらのマイノリティの言語の具体的な姿がよく見えない。読者は、これらのマイノリティの言語がポーランド語(文語)と具体的にどの程度異なるものなのか、これらマイノリティの言語で文学・演劇・映画作品などがどの程度作られているのか、それらは別の「言語」で作られていると感じられるほど異なるものなのか、といったことにも関心を惹かれるだろう。「ポーランドの言語政策とマイノリティ」という副題を持つ本書は、マイノリティの言語活動について、またマジョリティの言語であるポーランド文章語とは別個の文章語を必要とする彼らの事情などについて、彼らの内的視点からの記述をもっと含めた方が良かったのではないだろうか?

 

2.マジョリティの言語(ポーランド語)についての記述と考察の不足

 マイノリティの言語を研究するための前提となるマジョリティの言語(ポーランド語)について、もっと記述と考察があった方が良かったのではないだろうか? あるコミュニティー内で規範化され威信を認められた「言葉によるコミュニケーション体系」としての言語と、社会的・地域的な種々のヴァリエーションの全体を、複数の平等物として包含する集合といったイメージで、(現代)ポーランド語を記述する一章があると良かったのではないだろうか? ポーランド語について明確にしておくことは、ポーランド語に対するマイノリティの言語の「立ち位置」が根本的に重要であるため、なおさら欠かせないと思われる。「ポーランド語中心主義」(187頁)という表現に説得力を持たせるためにも、ポーランド社会においてポーランド語が威信ある言語として認められるまでの経緯も、十分に記述すべきではなかっただろうか? 

 

3.文章語(文語)との関係を十分に視野に入れていない

 本書では、文章語(文語)という概念への考察が弱い(あるいは混乱している)印象を受ける。「独立した言語」か「方言」かの議論において、「方言」に対比される「言語」は「言語」一般ではなく、具体的な、著者の用語に従えば「コード化」された文法体系を持つ「文章語」ではないだろうか? 

 

4.性急な断定と勇み足

 本書には、性急な断定に危惧を覚えさせる部分がある。例えば著者は、「『スラヴ語ポーランド方言』という名称を設定しても、比較言語学的な関係性の上では完全に誤りとは言えない。しかし[……]現状としてそのような名称は、一般的にも学術的にも見られない。また歴史的に見ても使用されていない」(22頁)と断定している。だが、19世紀スロヴァキア出身のコラールは、スラヴ諸民族全体を一つの「スラヴ民族」として捉え、その中に「ロシア、イリリア、ポーランド、チェコスロヴァキア」の四つの方言が存在するとしており、「スラヴ語ポーランド方言」という名称は歴史上存在していたことになる。また、17世紀クロアチア出身のクリジャニッチが人工的に作って実際に使用した「全スラヴ語」=汎スラヴ語のことも想起されよう。

 それから、他者の主張について「単なる循環論法にすぎない」、「論理が破綻している」(105頁)などと厳しい言葉で切り捨てる表現なども見られるが、このような勇ましく「歯切れの良い」文体は、学術論文にはなじまないのではなかろうか? 冒頭の言語分類についての論述などにおいては、「歯切れ良く」論理を単純化することで極論に陥りかねない危うさも感じられる。

 

 以上のような問題点や疑念を抱かせる点はあるものの、本書がオリジナリティに富み、重要な社会言語学的知見をもたらす貴重な研究成果であることは間違いない。著者の若さに鑑みても、著者の今後の活躍が期待できる。

 

以上

 

選考委員長 石川達夫