2018-19 年度受賞作・選評

 

【受賞】

松尾梨沙『ショパンの詩学 ピアノ曲《バラード》という詩の誕生』

みすず書房、2019 年

 

 以下、同賞選考委員会の阿部賢一委員長による選考過程、所見を『スラヴ学論集』(第 24 号、2021 年、pp. 151-153)より転載する。

 

【選考過程】
 選考に先立ち、選考委員会が結成された。内規第5条に基づき、会長(長與進)、企画編集委員長(三谷惠子)、編集委員長(ヨフコバ四位エレオノラ)、および企画編集委員会によって指名されたもの(阿部賢一)によって構成され、指名により、阿部賢一が選考委員長を務めることになった。

 選考にあたっては、今回の奨励賞の対象は、「2018 年、2019 年に刊行された単著の研究書」であることを確認した上で、2020 年 3 月 7 日を期限として、会員による自薦、他薦をメールおよび HP 上で呼びかけを行った。その結果、会員からの推薦があったものに加えて、選考委員会からの推薦を加え、候補作は以下の四点(著者名順)であることを確認した。

  1. 岡本佳子『神秘劇をオペラ座へ バルトークとバラージュの共同作品としての《青ひげ公の城》』松籟社、2019 年。
  2. 菅原祥『ユートピアの記憶と今:映画・都市・ポスト社会主義』京都大学学術出版会、2018 年。
  3. 松尾梨沙『ショパンの詩学 ピアノ曲《バラード》という詩の誕生』みすず書房、2019 年。
  4. ローベル柊子『ミラン・クンデラにおけるナルシスの悲喜劇』成文社、2018 年。

 その後、4 名の選考委員が、上記 4 点の候補作すべてを読み、奨励賞としてふさわしい作品について、メールで審議を行った。
 複数回にわたるメールでの意見交換の結果、本年度の奨励賞は、下記の著作とすることで選考委員会は一致したことを報告する。

 2020 年度日本スラヴ学研究会奨励賞:
 松尾梨沙『ショパンの詩学 ピアノ曲《バラード》という詩の誕生』みすず書房、2019 年。

 

【所見】

 松尾梨沙箸『ショパンの詩学 ピアノ曲《バラード》という詩の誕生』(みすず書房、2019  年)は、同氏の博士論文「ショパンの詩学 楽曲構造とポーランド文学構造の比較分析」(東京大学総合文化研究科、2018 年 3 月、学位授与)を改訂したものである。
 全 13 章からなる同書は、「第 1 部 6 人の詩人から読み解くショパンの歌曲 その詩の構造と作曲技法との関わり」、「第 2 部 《バラード》の条件 ショパンが生んだ新ジャンルをめぐって」の二部構成となっている。第 1 部では、ショパン自身のポーランド語文体を参照しながら、ポーランド詩人たちの詩に付曲した歌曲を、詩と音楽の両面から分析がなされる。第 2 部では、文学ジャンル名にも共通する《バラード》というピアノ独奏曲について、ポーランド文学の「バラード」との比較分析が行なわれている。
 本書が選考委員会によって高く評価された第一点は、19 世紀ポーランドの文学研究と音楽学の成果が結実した学際的な論考となっている点である。本来は詩のジャンルであった「バラード」が、ピアノ独奏曲の名称へと変容していく様相が、オシンスキ、ミツキェヴィチ、ヴィトフツキら数多くの文学者、音楽者の作品を下敷きにして、明かされていくプロセスは、知的な興奮をもたらすものであり、委員全員から高く評価された。「バラード」というジャンルに着目することで、隣接する学問分野でありながら十分に検討されてこなかった、文学研究と音楽学の共同研究の可能性を示したものと言えるだろう。
 次いで評価されたのは、研究手法である。ポーランド語のみならず、リトアニア語やウクライナ語などの民謡も射程に入れ、ポーランド語の詩および歌の重層的な広がりを提示することに成功している。また実証的で緻密な文体・楽曲分析を行いながら、議論を重ねていく手法は、堅実でありながらも、学術的な野心に満ちたものであり、選考委員会からも高く評された。
 以上の2点において、他の候補作よりも若干抜きん出ていたという判断に至り、松尾氏の著作を奨励賞として推薦することにした。
 なお、他の候補作もいずれも博士論文を下敷きにした論考であり、様々な刺激をもたらす、学術的にもレベルの高い著作であり、選考は極めて難航した。ディシプリンやアプローチがそれぞれ異なるため、候補作四点すべてを奨励賞としてもよいのではないかという意見もあったが、最終的には、松尾氏の論考が上記の点において傑出しているという点で一致を見た。全体として、本会の研究レベルの向上が窺える選考であったことを言添えておく。


以上

 

選考委員長
阿部賢一